1000冊チャレンジ,  メモ

自分の中にあった市場価値コンプレックス

自分が嫉妬を抱く対象について考える機会が訪れた。それも妻との結婚記念日にデートをしつつ雑談を重ねていく中で、ふとこの話題にいきついたのがきっかけだった。よりにもよってご飯がまずくなるような話題だけれども、妻は携帯をいじったり体操をしたりしつつ自分の内観発表会に耳を傾けてくれた。あざやかなマルチタスクにマイワイフを誇らしく思った。

話を戻し、自分が嫉妬を抱く対象ひとつひとつ並べて共通点を探っていくと、そこには二つの要素が見えてきた。一つ目は自分とどこか近しいと感じる相手ということ。自分との共通点が見いだせない相手には、自分に持っていないものをいくら持っている対象だとしても一切嫉妬を抱かない。歴史上の偉人とかには嫉妬すらできない。自分と比べるスケールが働かないのだと思う。

そして今回言語化できたことで収穫だったもう一つの嫉妬要素は、市場価値(のあるクリエイター)だ。要は売れているか否かという基準。

かつて自分が、この環境ではもう何もできないと判断し逃亡した小学館から作品を出版しバリバリ売れている同年代の漫画家には強く嫉妬する。あとは友人、知人が作っているプロダクトや作品が評価され売れている様子を見ていると、心では祝いたい半面嫉妬の炎が燃え上がる。この炎は悔しさから多少のエネルギーにはなりつつも、低温やけどのようにじわじわと行き場のない劣等感を与えてくるので困ったものだなと感じていた。

市場価値に嫉妬するという反応は端的にいってダサいと思う。でも20歳直前で編集者がついたという体験に浮かれて大学を辞めたものの、今日まで11年間売れなかった男のリアルな体感なのでそこは仕方がない。自分にできることは今まで通り市場価値がつくように励むこともあるのだが、市場価値よりも価値のある別の物差しや価値観を信仰することこそ重要なのではと感じている。

それは実のところ最近少しずつ始まっていた。現在2024年の夏までに1000冊漫画を売らないと求職活動をするというプレッシャーを自分自身にかけてみたところ、いきついたのはこの際もはや自分が本当に描きたいもの、面白いと思うものを描こうという結論だった。

この、自分が本当に面白いと思うモノこそが是。という価値観が市場価値中心という無意識的な思い込みを上書きする新しい基準になりつつある。

自分が面白いと思うモノは自分が食えていけるほどには市場価値を持つはず。いやむしろ、持たせてみせる、という気概である。市場価値よりも自分の面白いが先立っている。それを信じている状態といえるかも。

市場価値というあまりに不確かな基準で漫画を作るのは苦しい。何が売れるか?という問いである。これは編集者に任せてしまった方がいいのかもしれない。11年間売れる漫画を器用に作れなかった自分のような作り手は特に、自分が感じている面白いという感覚、熱量をどうにかして伝えたい、という基本中の基本を見失っているのかも。

問いの立て方としては、考え方や見え方を変えてしまうきっかけのような作品にしたい。その方法とはなにか?という問いに向き合った方が、売れたいという囚われから解放されたイノセントな作品が作れるはず。そういうものに自分は心奪われてきたはずである。

最後に、長々と書き綴った創作メモにつきあってくれた貴重な読み手さんにはすべての本音を伝えて(投げつけて)終わりたい。とはいえ自分は売れたい!海外でも売れたい!あとモテモテになりたい!少なくとも千冊は絶対に売れたい(宣伝)。

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